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高校国語 実用文と小説の分離見直しへ

2032年度の学習指導要領改訂において、文部科学省は、高校国語の科目構成を見直す方針を示しています。
現在のように、実用的な文章を扱う科目と、小説などの文学作品を扱う科目を分ける形を見直し、
多様な文章に触れられる構成へ再編される見通しです。

背景には、特に理系志望者を中心として、文学作品に触れる機会が不足しているという指摘があります。
そのため、論理的文章だけでなく、小説や随筆などにも幅広く触れさせることが主な目的とされています。

現行の学習指導要領では、必修科目に加え、

論説文や報告書などを扱う「論理国語」
小説・詩歌・随筆などを扱う「文学国語」
古文・漢文を学ぶ「古典探究」
自分の考えをまとめ、他者に伝える力を養う「国語表現」

といった選択科目があります。

しかし実際には、大学入試で出題されやすい「論理国語」や「古典探究」の履修率が高く、
「文学国語」を十分に学ばない生徒も少なくありませんでした。

私は約2年前のブログで、小説読解の重要性について書きました。
今回、小説教育が見直される方向になったことを、とても良い流れだと感じています。

以下、当時のブログを再掲します。
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なぜテストに小説が出題されるのか?

「なぜ小説がテストに出題されるのだろう」と思ったことは無いですか?
テストで「登場人物の気持ちなんて分からない」と感じたからではないでしょうか。

小説がテストに出てくると、登場人物の心理状態を説明させるような問題が必ずと言って良いほど出てきます。
こうした問題では、「自分はこう思ったのに正解ではない」ということが起きます。
すると、「別に自分の書いた答えでもいいじゃないか」という気持ちが湧いてきて、その理不尽さに嫌気がさし、
「なんで小説がテストに出るんだ?」という気がしてきます。

このような経験からくる「答えの曖昧さ」への反感が恐らく小説への苦手意識、
ひいては国語嫌いを生む大きな要因になることがあります。

私も小説の読み方は多様であるべきだと思います。
しかし、いくら様々な読み方があると言っても、あまりにとっぴな根拠のないものは
認められないのも確かだと思います。

なぜ登場人物の気持ちが分からないのか。それは「登場人物の気持ち」そのものに誤解があるのだと思います。
「登場人物の気持ちが分からない」という人は、自らをその登場人物に置き換えて感情移入しようとします。
そうすると色んな感情が沸いてきて訳が分からなくなってきます。
その結果求められる正解ではないものを書いてしまうということになります。

では、何がいけないのでしょうか。
答えは「視点」です。感情移入すべきなのは登場人物本人ではなく、その登場人物を見る他者です。
テストで問われているのは「主観的な心情」ではありません。あくまで「客観的な心情の流れ」です。
つまり、答えるべきなのは状況や態度・台詞などその登場人物の客観的な描写から読み取ることのできる
心情だということです。

だから、主観的な心情を答えるのは問題の意図からずれてしまいます。
その人がどう思っているのかなんて、本当のところはその人以外誰にも分からないのですから。

例えば実生活において、友達と遊ぶとき、家族と話すとき、先生と語すとき、
私たちはその人の置かれている状況やその人の醸し出す態度、その人の発する言葉から、相手の心情を推測します。
その人が腹の底で何を考えているかということは、本当のところ分かりません。

その時「その人の気持ちなんて分からない」と匙を投げるでしょうか?
多分、色んな情報を加味して、総合的にその人の心情を推測すると思います。

小説の読解も同じです。求められているのは本当の感情を答えることではありません。
大事なのは、様々な客観的要因から、僕たちが普段友達に寄り添うときのように心情を追うという姿勢なのです。

最近SNSで特定の人物を誹謗中傷し、最悪の事態が起こってしまう事件を目にします。
こういう時代だからこそ、相手の立場を主観的ではなく客観的に推察し、
できるだけ寄り添おうという気持ちが大切だと思います。
2025年の共通テストから実用文が取り入れられ小説が軽視される傾向にあるように思いますが、
現代は以前にも増して小説の読解力の大切さが増しているように思います。

セルモ つくば本部教室
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